こんにちは。
今回は鬼滅の刃より猗窩座との戦闘時に炭治郎が放った名言について紹介します。
強いものは弱いものを助け守る。そして弱いものは強くなりまた自分より弱いものを助け守る。これが自然の摂理だ。
今回の名言は猗窩座との戦闘時に炭治郎が放った名言です。
炭治郎と対峙する猗窩座は嬉々としていました。
それはなぜか。
かつて自分が弱者と罵った炭治郎がかつてないほどの成長を見せ,強者として自身の前に立ち塞がっているからです。
弱者が嫌いな猗窩座にとって弱者が淘汰されていくのは当然のことであり自然の摂理に他なりませんでした。
煉獄杏寿郎と対峙したあの日,煉獄に守られ地面に伏している炭治郎は猗窩座の嫌っている弱者そのものでした。
しかし杏寿郎が命を張って,守り抜いた若い芽は杏寿郎の思いを継ぎ,強者として猗窩座の前に立ち塞がります。
そして猗窩座自身勘違いがありました。
それは猗窩座自身がただただ,弱者のみを認められずそれ自身を嫌悪しているのだと思い込んできました。
しかし目の前に立つ強者であるはずの炭治郎を前にして,弱者を前にして感じるような嫌悪感が消えることはありません。
それはなぜか。
それは炭治郎自信が猗窩座の中に眠っていた人間だった頃の記憶。狛治だった頃の記憶を想起させるからでした。
狛治から鬼である猗窩座になり強さを求め続ける。
弱者を許せない猗窩座。ただただ強さを求め弱者を毛嫌いする。
しかし炭治郎の拳を受けた時に,一瞬師範である慶蔵(けいぞう)が脳裏をよぎります。
それはかつて狛治として生きていた頃,慶蔵による拳打を受けた時の記憶に由来していました。
慶蔵は罪人である狛治を拳打により離別させました。
拳でのされ,しばらくして目を覚ました狛治に慶蔵はこんな言葉を投げかけます。
「罪人のお前は先刻ボコボコにしてやっつけたから大丈夫だ。」
慶蔵を想起させる炭治郎から拳打を受けたことによりかつての師の言葉が脳裏をよぎります。
「生まれ変われ少年」
炭治郎の拳打は,強さを求め修羅となった猗窩座の目を覚まさせ強く優しかった頃の狛治であった頃の思いを呼び起こします。
ちなみにこの回のサブタイトルは“ありがとう”です。
狛治自身が本当に決別したかったのは,自暴自棄になり鬼として生きることを選んでしまった猗窩座自身でした。
炭治郎らとの戦いにより弱い自分自身あった猗窩座を克服した狛治の顔からは罪人である証の入れ墨は徐々に薄れていくのでした。
引用:『鬼滅の刃』 作:吾峠呼世春 ©︎集英社
強いものは弱いものを助け守る。そして弱いものは強くなりまた自分より弱いものを助け守る。これが自然の摂理だ。
本当は炭治郎の言った言葉を誰よりも理解し,実践していた狛治。
最後は本当に強い自分自身を取り戻し,生まれ変わることができたのでした。
誰かを守り,守られたその人がまた誰かを守る。
そんな当たり前のことが当たり前のように守られていく世の中であることを信じたいですね。
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