人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないのと同じ|『鬼滅の刃』愈史郎の名言

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鬼滅の刃
『鬼滅の刃』  作:吾峠呼世春  ©︎集英社

こんにちは。

今回は大人気の鬼滅の刃より人生訓となる名言を掲載しました。

人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないのと同じ

今回の名言は善逸が鬼となったかつての兄弟子“獪岳“を打ちまかした後に愈史郎が死の直前まで自分の敗北を認めようとしない獪岳に向かって悟らせるように言い放った言葉です。

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新上弦の陸“獪岳”

上弦の陸“妓夫太郎”亡き後その後任として上弦になった獪岳。

雷の呼吸を扱う善逸とはかつて兄弟弟子の関係にありました。

壱の型しか使えない善逸と壱の型だけ使えない獪岳。

ひたむきで努力家の獪岳。

自分こそが後継だと信じていた獪岳に伝えられたのは弟弟子である善逸と二人で後継であるということ。

自分こそが特別だと信じていた獪岳にとって,自分より下だと思っていた善逸と共同で後継になるというのは屈辱以外の何者でもありませんでした。

そうして獪岳は上弦の鬼である黒死牟に頭を下げ鬼になることを願うのでした。

師である桑島慈悟朗や弟弟子である善逸にとっては獪岳は特別な存在でした。

善逸も獪岳自身をあまり好きではなかったと語っていましたが,ひたむきで努力家な兄弟子を慕っており,鬼殺隊の隊士が壱の型を使えない獪岳のことを影で馬鹿にしていた時も相手の階級が上なのにも関わらず殴りかかってしまいます。

『鬼滅の刃』  作:吾峠呼世春  ©︎集英社

しかしどこまでも自身が特別であることに対して飢えていた獪岳にとってそれでは到底満足できませんでした。

なぜなら獪岳にとっては勝つことが全てだったからです。

常に高みを目指す獪岳ですが上には上があり,どこまで行っても獪岳が満足できることはありません。

自分に自信がなくどこか後ろ向きですが他者に対して愛を注ぐことのできる善逸と,目的に向かってひたむきに努力できるが自分以外の他者を見下しがちな獪岳。

亡くなった師である桑島慈悟朗の願いはそんな二人に手を取り合って雷の呼吸を教える師となっていってほしいと言う願いだったのかもしれません。

『鬼滅の刃』  作:吾峠呼世春  ©︎集英社

最後の最後まで自分の道が誤っていた事は認めようとしない獪岳ですが,善逸に敗北し首を刎ねられた時に戦いによって傷ついた善逸を助けようとする愈史郎に

人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる。欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないのと同じ。自分では何も生み出せないから。一人で死ぬのは惨めだな。

と耳打ちされます。

勝ちにこだわりすぎたあまりに孤独になっていた獪岳ですが,最後の最後まで自身の敗北を認めることはありませんでした。

今回の名言から学びたいこと

勝ちにこだわることも決して悪いことではありませんが,自分が特別だと思い込みすぎると周囲から人が離れていってしまいます。

また,自分のために何かをすることも悪いことではありませんが,誰かのために何かをやると言うことの方が気持ちがいいのかもしれませんね。

施されたら施し返す。

そうすればきっと炭治郎が話していたように人のためにすることは巡り巡って自分のところに帰ってくるようになるのかもしれません。

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