緋村剣心の実在モデル「川上彦斎」は幕末の四大人斬り!どんな人物だったのか?|るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-

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引用:『るろうに剣心–明治剣客浪漫譚–』 作者:和月宏伸 ©︎集英社

明治初期の日本を舞台として幕末の人斬り「緋村剣心」が流浪人(るろうに)として日本各地を旅しながら困っているか弱き人々を剣の力で守っていくというストーリーで人気を博す“るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-”。

そんな物語の主人公である緋村剣心ですが、実際に幕末の世で「人斬り彦斎」と呼ばれ、剣心のモデルとなった人物がいます。

その人物は身の丈5尺前後(150cmほど)で小柄で色白であったことから一見女性の様だったと言います。

また、「緋村抜刀斎」は「川上彦斎」と剣術の型など共通点もかなり多く、実在の人物になぞらえてキャラクター設定されたと思われます。

今回は人斬り抜刀斎のモデルになった人物「川上彦斎」についてその人物の解説をしていきたいと思います。

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川上彦斎の人物像

幕末には「田中親兵衛」「中村半次郎」「川上彦斎」「岡田以蔵」の“四大人斬り“と恐れられた4人の人斬りがいたそうで緋村抜刀斎のモデルとなった人物は「川上彦斎」という人物です。

川上彦斎はかなり小柄な人物だったそうで、身の丈は5尺(150cm程)で色白であったことから女性の様だったと言われています。

性格は普段は礼儀正しく温和な人物で知られたそうですが、感情の起伏が激しく、いつ人斬りのスイッチが入るかわからないことから仲間内でも恐れられていたようです。

また、一度睨まれたら逃れられないということから蛇に喩えられ仲間内でも「ヒラクチ(蛇腹)の彦斎」の異名で気味悪がられたそうです。

川上彦斎が如何に危険な思想を持っているかよくわかるのが、勝海舟が川上彦斎を以下のように語っていたことです。

また、酒の席での以下のような話も残っています。

●「河上はそれはひどい奴サ。

コワクテコワクテならなかったよ。

たとえば、こう話して居てサ。

巌本(=聞き手)と云うものは野心があると云う話が出ると、ハハ、アそうですかなどと空嘯いてとぼけて居るが、其日、スグト切って仕舞う。

そしてあくる日は、例のごとくチャンとすまして来て、少しも変わらない。

喜怒色にあらわれずだヨ。

あまりに多く殺すから、或日、ワシはそう言った。

『あなたのように、多く殺しては、実に可哀想ではありませんか』と言うと、『ハハア、あなたは御存じですか』と言うから、『それは分かって居ます』と言うと、落ち着き払ってネ。

『ソレハあなたいけません。

あなたの畠に作った茄子や胡瓜は、どうなさいます。

善い加減のトキにちぎって、沢庵にでもおつけなさるでしょう。

アイツラはそれと同じことです。

どうせあれこれ言うて聞かせてはダメデス、早くチギッテ仕舞うのが一番です。

アイツラは幾ら殺したからと言って、何でもありません』と言うのよ。

己れはそう言った。

『あなたは、そう無造作に、人を殺すのだから、或は己なども、ネラワレルことがあらうから、そう言っておきますが、だまつて殺されては困るから、ソンナ時は左様言うて下さい、尋常に勝負しましょう』と言うとネ、「ハハー、御じようだんどり」と言って笑うのだ。

始末にいけない」

酒席で、仲間がある横暴な幕吏の話をしたところ、黙って聞いていた彦斎が席を立ったかと思うと、しばらくしてその幕吏の血だらけの首を袖に抱えて戻ってきて、飲み直したことがあった。

出典: 川上彦斎 ウィキペディア(Wikipedia):フリー百科事典 最終更新 2022年1月5日 (水) 14:29 

人を斬ることを畑の野菜の収穫に例えているあたり、簡単に人を斬る、かなりの危険人物であったことが窺えます。

ただその反面親思いで、妻子にも優しかったことが知られています。

川上彦斎は“抜刀術“を得意とした

ここも緋村抜刀斎のルーツになってくるかと思われますが、「川上彦斎」が得意としたのは“逆袈裟斬り(いわゆる抜刀術)“だったそうです。

右足を前にして左足を地面に着くんじゃないかと思うほどスレスレに伸ばし、かなり低い姿勢で右手に持った剣で相手を払い斬ったと語り継がれています。

原作で「緋村抜刀斎」が得意とするのも“逆袈裟斬り(抜刀術)”で戦闘スタイルも川上彦斎を模したものだと思われます。

剣心の奥義で知られる“天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)”はそこからさらに左足を踏み込むことで斬り込みの速度をさらに上げ、超神速に昇華させるものとされています。

引用:『るろうに剣心–明治剣客浪漫譚–』 作者:和月宏伸 ©︎集英社

自身の思惑とは大きく食い違った明治政府と川上彦斎の最後

新政府への移行後尊王攘夷の思想を共にして奔走してきた同氏達が多く名を連ねる新政府でしたが、そこに尊王攘夷の思想は既にありませんでした。現実に落胆する川上彦斎ですが、最後まで尊王攘夷(天皇を尊び外敵を退けること)の考えを捨てることはありませんでした。

そんな川上彦斎を新政府は快く思っていませんでした。

そんな中明治政府へのクーデターを画策し、危険人物とされる「大楽源太郎」を匿ったことにより、川上彦斎自身の関与は薄いとされる“二卿事件“と“広沢真臣暗殺事件“の嫌疑をかけられてしまいます。

裁判においては尊王攘夷の考えを貫く川上彦斎に判事を勤めたかつての同志達が考えを改めるよう説得を試みましたが、最後まで考えを変えることはなかったとされ明治4年12月4日に37歳の若さで斬首されてしまいました。

まとめ

いかがだったしょうか。

「川上彦斎」と「緋村抜刀斎」。

剣術の型や残忍性、小柄で女性的な容姿など「緋村抜刀斎」は実際の「川上彦斎」を模したのではないかと思われる部分も多いです。

見た目とは裏腹に実際の川上彦斎は最後まで天皇に忠義を尽くす熱い男だったようです。

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