こんにちは。
今回の記事では今話題沸騰中のキングダムについて、時代の系列と秦の王である嬴政の死亡理由について書いていきます。
キングダムは三国志のおよそ400年前のお話
作品の舞台となっているのはどちらも遥か昔の中国ですが、それぞれ以下の時代のお話です。
キングダムの時代から三国志の時代への移り変わり
嬴政による中華の統一後、末長く繁栄するかと思われた嬴政による時代ですが、そう長くは続きませんでした。
嬴政は中華の統一から11年後の紀元前210年に死去してしまいます。
その4年後にあたる紀元前206年“秦”は滅亡してしまいます。
その後中華は様々な国に分裂し、様々な争いが生まれます。
そして三国志の時代では国は「呉」「蜀」「魏」の三つの国に分裂し、三国が覇権争いを繰り広げることになります。
キングダムに登場するキャラクターの末裔
三国志ではキングダムの登場人物の末裔も登場します。
「司馬尚(しばしょう)」の末裔
趙国の武将である「司馬尚(しばしょう)」。
趙国の傑物を表す“三大天”の一人である「李牧(りぼく)」からその腕前を買われ三大天に推薦された人物です。
その「司馬尚」の末裔にあたる人物が「司馬懿(しばい)」であり、最終的にはその孫である「司馬炎(しばえん)」が樹立した秦王朝が天下を統一しています。
呂不韋(りょふい)の末裔
キングダムで秦国の大臣である丞相(じょうしょう)として登場する呂不韋(りょふい)の末裔である呂凱(りょがい)も三国志で登場します。
呂不韋の名前から三国志最強の武将である呂布(りょふ)を連想する方もいるかもしれませんが、呂不韋(りょふい)と呂布(りょふ)は全くの赤の他人で特に末裔というわけでもありません。
信(しん)の子孫
キングダムの主人公である「信」こと李信(りしん)の子孫からは数々の有名人が誕生しています。
信の息子にあたる「李超(りちょう)」は前漢という国の大将軍となります。
飛将軍の呼び名で恐れられた前漢時代の将軍「李広(りこう)」も李信の末裔にあたります。
嬴政の死亡理由は不老不死を望むあまりに水銀を口にしたことが原因
キングダムでこそ勇敢で民思いの国王として描かれている嬴政ですが、実際に中華を統一した後の嬴政の政治は悪政として知られ、徹底的な法治主義により民達を支配したそうです。(これが後に民達の反乱のきっかけとなります。)
阿房宮(あぼうきゅう)という巨大な宮殿まで建設し、自らの権威を誇ったそうです。
そして皇帝の座についた嬴政は不老不死を望無あまり、当時は不老不死の薬と信じられた水銀を飲んで生きながらえようとしますが、それが逆に体に祟って49歳で死去してしまいます。(現在では水銀は“水俣病”の原因になるなど人体には有害であることが知られています。)
まとめ
いかがだったでしょうか。
遥か昔の中華を舞台とした『キングダム』と『三国志』ですが、三国志の時代は400年も後だということです。
とはいえ『三国志』にも『キングダム』の登場人物の末裔となる人物が多数登場するなど、ファンとしてはかなり見応えがありますよね。
時代がそれぞれ違いますがそれぞれの時代の出来事を知った上で『キングダム』と『三国志』併せて楽しむと100倍面白くなること間違いなしです。