死神と道化
『東京卍利便ジャーズ』205話「The picaresque」で稀咲の墓前で“死神と道化”について半間修二が語るシーンがありました。
しかし“死神と道化”の真意については語られず、半間修二が語り始めるところで205話は終了してしまいます。
今回はそんな“死神と道化”の真意について紐解いていきたいと思います。
稀咲は道化(ピエロ)
稀咲は自分自身を主役にはなれない道化(ピエロ)だと話していました。
これは憧れとしていた花垣武道をヒーローとした時に、自分自身には花垣のように人を惹きつけるような魅力はないと自分自身で悟っていた稀咲ゆえのジレンマだと言えます。
稀咲が初めから東京卍會のNo.2を狙っていたのも、マイキーをトップの器だと見極めた上で、それを操り不良界のトップに成り上がる目的の上です。
稀咲は腕っぷし、カリスマ性を始め自分は上に立てる器ではないと作中で初めて本音を漏らしたのが205話の「The picaresque」でした。
死神(半間修二)の世界に色を付けた“道化”
一方で喧嘩に明け暮れ、退屈な日常を送る歌舞伎町の“死神”の異名をもつ半間修二。
しかし日々退屈に過ごす彼の目の前に現れたのが稀咲鉄太。
いきなり対面するや否や自分の駒になるように言ってくる稀咲。
稀咲に他の不良とは異なる色を感じた半間は、もしかしたらこいつなら退屈なオレの日常に刺激をくれるかもしれないと思います。
半間の思った通り、稀咲はサーカスのようにどんどん新たな舞台を作り上げ、半間を楽しませます。
そうして退屈していた半間の色褪せていた日常が色付けられていきます。
死神と道化まとめ
稀咲にとって半間は駒。
一方で半間にとって日常に色を付けてくれる稀咲は道化(ピエロ)。
稀咲にとって不名誉な道化(ピエロ)も半間にとっては自分の日常を明るく照らしてくれる稀咲は半間にとって稀咲のなりたかったヒーローそのものだったのかもしれません。
半間修二の“罪と罰”の刺青の意味は?
半間修二の左手の甲には“罪“。
右手の甲には“罰”の文字が刻まれています。
ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの書いた小説で『罪と罰』と言うものがあります。
フョードル・ドストエフスキーの小説『罪と罰』
ロシアのペテルブルグを舞台にした本作品。
主人公の青年ラスコリー二コフは「1つの罪悪は100の善行によって償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」と言う独自の犯罪理論から、町の有名な金貸しの老婆アリョーナ・イワーノブナを手にかけ殺害してしまいます。
その際に老婆の義妹が入ってきたため、勢いあまり義妹も殺害してしまう。
その日から彼は罪の意識に苦しむ日々を送ることとなります。
そんなラスコリーニコフですが、様々な人間との出会いをきっかけに徐々に正しい良識を持つようになり、成長していきます。
罪と罰の刺青は半間と稀咲の関係性を示唆していた?
フョードル・ドストエフスキーの小説『罪と罰』に登場するラスコリーニコフですが
「選ばれた非凡人は、新たな世の中のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」
と言うような考えを持ちます。
稀咲も作中で目的のために様々な人間の犠牲を厭わず殺めました。
少しこじつけっぽいかもしれませんが、この考え方が『罪と罰』のラスコリーニコフの考えと共通しているとしたら、半間が稀咲につくことを示唆していたのかもしれません。
今のところそれ以外にフョードル・ドストエフスキーの小説『罪と罰』の繋がりは見えませんが、現在は警察から逃亡中でまだ物語に絡んでくる可能性は大いにある半間修二。
今後の展開でフョードル・ドストエフスキーの小説『罪と罰』との繋がりは出てくるのでしょうか。